誰かのため、と思って努力や我慢をしていれば
時間が解決してくれると信じていることが、
もしいつまでも解決されることがなかったら
その時はやっぱりがっかりしてしまうのかな
話してもわかりあえないこと
話しても拒否されること
人として見てもらえないこと
それを「したい・そうして欲しい」と求めてはいけないのかな
求めないことがアタリマエで
求めないことがフツウ
でも、それはやっぱりすごく悲しい
「今自分が見えてる世界が、世界の”常識”」
それは違うということを忘れて欲しくない。忘れたくない。
言葉はなんて危ないんだろう
石野卓球が前に「言葉は伝達手段としてとてもおくれている」と
いうようなことを言っていた
私もそう思う
じれったくてしょうがない
でも仕方ない
はやくこんな気分になりたいな
kitchen/Aco
0 件のコメント:
コメントを投稿